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こんにちは!
『あなたの在り方をカタチにする専門家』
INFINITY コンサルティング 代表の川西翔太です。
この度はINFINITYコンサルティング公式ブログを読んでいただき
誠にありがとうございます。
初めましての方がほとんどだと思いますので、
まずは、
私が何者でどのような理念を持って、
この協会を立ち上げたのかを
自己紹介させて頂きたいと思います。
私は大阪出身で、
大阪リハビリテーション専門学校という養成校を卒業後、
大阪市内にある急性期病院へ就職したのが、
理学療法士人生のスタートでした。
これは嫌みでも何でもありませんが、
養成校時代は特待生に選ばれるぐらい成績も良く、
勉強にも意欲的だった私は理学療法士として、
働く事をすごく楽しみにしていました。
「患者さんのために働いて、
身体に不調に悩む色んな患者さんを救ってやる!」
と意気込んでいました。
しかし、実際に働いてみると現実はそう甘くなく、
「全く患者さんに結果を出して、良くする事ができない、、、」
「こんなはずじゃないのに、、、」
というのが現実でした。
幸いにも私は患者さんとお話をして、
人間関係を作る事は得意な方だったので、
リハビリを拒否された事は一度もありませんでした。
しかし、
患者さんに結果を出して、
良くしてあげられない事に日々心の中で、
もどかしさを感じていました。
それでも何とかこの状況を打破するために休日を返上して、
様々な協会の研修会に参加しましたが、
特に状況は変わりませんでした。
そうしている内にだんだん
理学療法士としての仕事に楽しさを感じなくなり、
病院の同期や病棟の看護師さんと遊び呆ける毎日がスタートしました。
だいたい週3〜4日は朝まで飲んでそのまま出勤。
リハビリ室で髪の毛や身体を洗い、
マスクでお酒の匂いを隠す。
眠たくなったら病棟のトイレで仮眠。
酷い時は朝礼の1時間前までクラブに居て、
タクシーで出勤して耳鳴りで朝礼が何も聞こえない。
などといったような今思えば、
信じられないような事をしていました。
正直この時期は、
仕事を遊びで誤摩化していたので、
毎日が楽しかったですが、
最低最悪な理学療法士だったなと今でも思っています。
患者さんも良くすることができず、
申し訳ない気持ちで、
本当に仕事が楽しくなかったので、
理学療法士を本気で辞めようと思っていました。
そんな生活が半年ぐらい過ぎたある2年目の4月に
転機がやってきました。
大阪でも5人しかいないドクターオブカイロという、
海外のカイロプラクティックの資格を持ち、
開業されている治療家の先生をリハビリで担当することになりました。
その方はとても良い方でしたが、
私には筋トレやストレッチしか望んでいませんでした。
というより、
筋トレやストレッチしかできない自分がいました。
病室へ行くと、
その方は、
自分で痛みの調整をしていました。
これを見た時はめちゃくちゃ悔しかったです。
しかし、
現実的にも私には痛みを軽減させる事すらできませんでした。
できる事と言えば、
廃用性の筋力低下を防ぐことだけ。
昔の私はプライドだけは一丁前に高かったのですが、
自分のプライドを捨てて、
その方に治療に関する質問をめちゃくちゃしました。
とても優しい方だったので、
治療院での話や治療の話しなどをたくさんして頂きました。
今までに聞いた事がないような夢のような世界が目の前に広がりました。
それから私は、
自費診療をしている先生が主催するセミナーに休みを返上して、
毎週参加するようになりました。
東洋医学、整体法、カイロプラクティック、
内臓治療、頭蓋仙骨療法、スポーツコンディショニング、
心理学など様々な分野の技術を取得しました。
貯金はというと常に残高300円ぐらいでした。
親に借金しながら研修会に行ったり、
当時の恋人とお金がなくて遊べないというような事もありました。
それだけ勉強に夢中になっていました。
正確には覚えていませんが、
独立するまでに数百万円を自己投資に使ったと思います。
そんな事もあって、
少しずつ臨床で結果が出始め、
患者さんの悩みを解決できるようになっていました。
さらには酷い生活習慣もなくなった事で
自分自身の身体も心も健康になり、
理学療法士としての仕事が楽しくなり、
働く事が楽しくて仕方がありませんでした。
そんな頃私は、
急性期病院で重症な患者さんを診させて頂く機会が増えました。
特に癌患者さんを担当させて頂いた時の事が今でも忘れられません。
この癌患者さんの方々との出会いが
後に地域で整体院を開業したい
という想いに繋がる事になります。
担当した患者さんの中に、
肝臓がん末期の方で、
すごく私の事を好意にして下さる方がいました。
全身の痛みや浮腫を少しでも緩和し、
運動機能を維持する為に一緒にリハビリに励んでいました。
しかし、
そんな時間は長くは続きませんでした。
ある日、
ベッドで酸素マスクをして意識ももうろうとして、
ベッドでぐったりされています。
昨日はあんなに元気だったのに。
脈拍も20〜30台、Spo2も70〜80%台でした。
そんな中でも患者さんは家族に私を部屋に呼んでくるように伝え、
「少しでも身体を楽にして欲しい」
と言われました。
すぐにドクターに確認を取り、
医師の指示のもと家族が見守る中、
ベッドサイドでリハビリが始まりました。
こんな身体が大変な時でも
患者さんやご家族の方が私を信頼して頂けた事に、
嬉しさ、悲しさ、切なさ、無力さ様々な感情が入り交じっていました。
結局、この方は翌日亡くなられました。
知った時は、
すごく悲しくて、いたたまれない気持ちになって、
トイレで泣いていたのを今でも覚えています。
そこで
「理学療法って何だろう?」
「もっとこうなる前に何かできる事はなかったのかな?」
とすごく考えさせられました。
そして、
自分は病気になる前の方々を救う為に
地域で整体院を開業したいという気持ちが強くなり、
思い立ったら即行動する私は、
新たな活躍場所を求め、
3年目の途中で病院勤務を退職しました。
その後は、
神奈川県茅ケ崎市にある
訪問看護やリハ・デイサービスを全国に展開する
株式会社R&C湘南に転職しました。
株式会社R&C湘南は
セラピストが実現したい事を
全力で応援してくれる
とても理解のある会社でした。
会社のご好意でデイサービスを使わせて頂き、
平日の夜と土日で
地域の心身に不調を抱える方々に
自費診療を行う事になりました。
そして、
その半年後には
慢性難治症状専門整体院 和〜nico〜を
独立開業する事ができました。
起業一年後には、
株式会社Therapist Infiityを設立し、
スタッフを雇用するまでの治療院にすることができました。
そして、
INFINITYというセラピストや一般の方向けのセミナー団体を設立し、
協会スタッフや受講者と共に理念の実現に向けて、
楽しく活動しています。
他にもINFINITYコンサルティングを運営し、
週末開業から本開業を目指す方、
整体院でスタッフを雇用したい方、
協会ビジネスで社会貢献したい方を対象に開催しています。
私が3つの事業を展開する理念は、
私と関わる全ての人が笑顔で幸せな人生を送る為に
自分自身の在り方をカタチにする為のサポートをする
ことです。
これからもこの理念を軸に会社を大きくして、
患者さん、治療院のスタッフ、協会の仲間、
クライアントさんと一人の人として尊重し合い、
一緒に切磋琢磨し合って、
お互いに成長し続けていきたいと思います。
今回、
INFINITYコンサルティング公式ブログをご覧いただいているあなたが、
治療院経営や協会ビジネスを通して、
愛ある経済を循環させ、
スタッフや仲間と共に実現したい理念に向かって、
共に楽しく切磋琢磨し合い、
お互いに成長し続けていけるようになる為に役に立てればと思っています。
次回は、
私が
「あなたの在り方をカタチにする協会〜INFINITY コンサルティング〜」を
どのような想いや理念で立ち上げたのかを
詳しくお伝えしようと思います。
長くなりましたが、
今日も最後までお読み頂き、ありがとうございました!
それでは、また明日!
川西 翔太
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therapist.infinity.consulting@gmail.com
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